
『”平安~室町時代の地元の出来事”を調べる』
というユータローの冬休みの課題が出ているので、
「じゃあ”富士川の合戦”はどお?」
ということで、色々と調べてみました。
~富士川の合戦~
治承四年(1180)、富士川(現在の和田川辺りの沼地)をはさんでの源平の戦いがありました。
この合戦では、夜間に川上を迂回した源氏の動きに水鳥の大群が一斉に飛び立ち、その羽音に驚き『すわ夜討ち』とあわてた平家軍が、戦わずに尻尾を巻いて京に逃げ帰ったという逸話が残っています。
その時、平家が陣を構えた場所は「平家越え」と呼ばれ、現在は石碑があります。



場所はどこかというと、

現在の吉原商店街の東側にあります。
しかし平家が陣を構えたのは富士川の西岸でしたから、当時より富士川が5~6kmも西に移動したってことですね!
自然の力って凄い!

でも実は護岸工事が行われたのは江戸時代以降で、それ以前は大きな川は幾筋もの支流が海岸に流れ込んでいたようですから、その内の一つかもしれませんね。
ところで、バサバサと飛び立ったという水鳥の群れは一体何だったんだろうと調べてみましたが、どの文献にも「水鳥」としか書いてありません。
最初は「鴨」かなぁ~、と思っていましたが、先日現地取材に行った時に、平家越えの石碑の脇を流れている川に数羽のオオバンが遊泳していました。

鴨の羽ばたき音では、人の夜襲の音と聞き間違えるには軽過ぎますが、鴨より一回りも二回りも大きいオオバンの方がより大きく力強い羽音がします。
ということで、「平家はオオバンの羽ばたき音で驚いた」でファイナルアンサー!
と強引に動物ネタに持っていくいんちょであった ^^;)
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というユータローの冬休みの課題が出ているので、
「じゃあ”富士川の合戦”はどお?」
ということで、色々と調べてみました。
~富士川の合戦~
治承四年(1180)、富士川(現在の和田川辺りの沼地)をはさんでの源平の戦いがありました。
この合戦では、夜間に川上を迂回した源氏の動きに水鳥の大群が一斉に飛び立ち、その羽音に驚き『すわ夜討ち』とあわてた平家軍が、戦わずに尻尾を巻いて京に逃げ帰ったという逸話が残っています。
その時、平家が陣を構えた場所は「平家越え」と呼ばれ、現在は石碑があります。



場所はどこかというと、

現在の吉原商店街の東側にあります。
しかし平家が陣を構えたのは富士川の西岸でしたから、当時より富士川が5~6kmも西に移動したってことですね!
自然の力って凄い!

でも実は護岸工事が行われたのは江戸時代以降で、それ以前は大きな川は幾筋もの支流が海岸に流れ込んでいたようですから、その内の一つかもしれませんね。
ところで、バサバサと飛び立ったという水鳥の群れは一体何だったんだろうと調べてみましたが、どの文献にも「水鳥」としか書いてありません。
最初は「鴨」かなぁ~、と思っていましたが、先日現地取材に行った時に、平家越えの石碑の脇を流れている川に数羽のオオバンが遊泳していました。

鴨の羽ばたき音では、人の夜襲の音と聞き間違えるには軽過ぎますが、鴨より一回りも二回りも大きいオオバンの方がより大きく力強い羽音がします。
ということで、「平家はオオバンの羽ばたき音で驚いた」でファイナルアンサー!


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